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2017.09.15    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   あきつ丸の最後

今日は「あきつ丸の最後」ですね。
あきつ丸とは、1941年(昭和16年)9月24日に進水した、日本陸軍が建造・運用した揚陸艦ですね。
今アメリカ等で運用される強襲揚陸艦の先駆的存在だったといわれています。

あきつ丸の最後は、Wikipediaでは、以下の様に書かれています。
「しかし15日正午頃、五島列島沖において護衛艦艇および「神鷹」九三一空機の哨戒の隙を突き、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュ(USS Queenfish, SS/AGSS-393)の発射した2本の魚雷が11時53分、「あきつ丸」の左舷船尾に命中[35]。後部弾薬庫に誘爆、船尾楼部分が吹き飛び、船体の後部1/3は沈下した[35]。飛行甲板に繋留されていた攻撃艇の一部は海に滑り落ち、救助活動に役立ったという[35][36]。急速に左に傾斜し始めた「あきつ丸」はボイラーが爆発し船橋付近では火災も発生、舟艇ドックにも浸水して転覆、沈没した[35]。ほぼ轟沈だった。沈没地点は五島列島の福江島北西約40km北緯33度17分 東経128度11分[35]。または北緯33度05分 東経128度38分。戦死者は船員93名・船砲隊140名・乗船部隊2,093名に上る[37]。」(引用:Wikipedia
非常にあっさりと書かれています。

なんかすっきりせずに調べ始めたのが、始まり。
国会図書館で1冊の私製本「ミ二七・ヒ八一船団の記録 哀しき鹿島立ち (陸軍兵器学校第六期火工科八区隊 四期生遭難記録資料作成委員会 )」を見つけました。
この本は、ヒ81船団に乗船していた方たちの記録ですね。

この中から、あきつ丸の関係だけを一部抜粋しました。
●昼食準備中の十一時五十八分 
  突如、船体を海底から噴き上げる轟音が続けざまに三発。同時に船内に響きわたる。
 「敵潜水艦来襲!」 の非常ベルに、総員背筋を寒くし周囲を見渡すと、左舷を進行中の歩兵六十四連隊主力が乗船している、あきつ丸(陸軍改装水上機母艦)が、巨大な三本の水柱の中に船体を右舷に傾け、豆粒程に見える将兵が、飛行甲板から海中に滑り落ちつつあり、船はみるみる中に海中に没してしまった。(吉備津丸乗船の方)

●「潜水艦攻撃警報!」が船内に響きわたる。
 正午直前だった。間髪を入れず、船尾に打ち込まれた魚雷三発が大音響と共に爆発し、船内は停電して真暗となり、阿鼻叫喚の地獄絵巻になった。
 私は船室よりやっとの思いでデッキに出る。出て見れば船は四十五度に傾き、兵隊は次々に海に飛び込んでいる。私も船べりを滑り落ちながら飛び込んだ。
 私は急激に沈む船の渦に吸い込まれないように一生懸命泳いだ。船から何メートル離れただろうか、後を振り返ると、既にあきつ丸の姿はなかった。(あきつ丸乗船の方)

●昭和十九年十一月十五日十二時十五分頃、陸軍歩兵上等兵で乗船したあきつ丸は、九州五島列島沖で敵潜水艦の魚雷攻撃をうけて、わずか三分であえなく沈没した。
 あきつ丸は航空母艦のような飛行甲板があり、甲板には飛行機ならぬ特攻用舟艇や、船首の中甲板には軍馬数十頭が繋がれていた。(あきつ丸乗船の方)

●十五日十二時十分頃、突然船に衝撃を覚えた。
 「敵潜水艦か!」と緊張する。
 ふと見ると右後方を航行中のあきつ丸の左舷に水柱の立ち上がるのが見えた。魚雷が命中したらしく、間もなく速度がにぶったと思ったら、また船の三倍位の高さの水柱が上がった。
 あきつ丸は左に傾き、左側に旋回しながら速度を落としてわずかに前進している。
 間もなく後甲板から大火災が上がった。甲板から海中に飛び込む数人の人影も見えた。
 あきつ丸は僅か五分くらいで一万屯の巨体を海中に没してしまった。(摩耶山丸乗船の方)

●時刻は正午前だったろうか。配分が終わったところで一斉に食事開始。私は空腹だったので皆より早めに終わり、飯盒を洗いに行こうと腰を上げたところ、「ドカン!」という激しい音と共に足をすくわれた。
 一瞬やられた!と直感した私は、急いで後部甲板に向かって走った。通路は一・二メートル位だったが、出口は狭く一メートル位で、そこはすでに避難しようとする将兵が殺到してなかなか出られず、しばらく立っているうちに私は押し出された。
 甲板に出てみると救命ボートが一隻ロープで吊るしてあった。
 ボート内には多数の将兵が乗り込んでいた。
 兵士が賢明にロープを操作してボートを降ろそうとしたが、最大荷重のかかっている結び目は解けそうになく、業を煮やした将校が軍刀を抜いて一刀両断!とおもいきや、なかなかロープは素直に切れてくれない。恰も切れない鉈で薪割りをしている感じだった。
 はっ!と我にかえり海面を見ると、舷側下二メートル位までに迫っていた。
 退避命令を待たずに海に飛び込んだ。助かるかどうかの考えは全くなかった。
 この間十秒~三十秒位だったろうか。
 飛び込んだ後、一寸間をおいて本船を振り向いたら三十メートル位離れていた。
 立ち泳ぎしながら見ていたら二発目の魚雷があきつ丸に命中した。大きな水柱が立ち上がり轟沈していった。

●十一月十五日十一時五十九分、魚雷攻撃!かと思った振動。「やられた!」と言う船員の声を聞く間もなく船は傾きはじめた。さらに爆発音。
 階段下に向かって「退避!退避!」と叫ぶ間もなく三十度に傾斜していた。
 甲板のすぐ上に、間橋君と同様に生還の元となった自動車エンジン搭載、ベニヤ板製の特攻用舟艇が、甲板に一〇〇隻積載されており、見習士官が軍刀で切り離していた。
 私は二隻切り離した時には、本船は既に四十五度傾いていた。ようやくの思いで右舷(高い方)にたどりついたが人影は無く、縄梯子を伝って脱出した。(あきつ丸乗船の方)

●私はそれまで、どちらがあきつ丸で、摩耶山丸か知らなかった。隣人の指す方向を見ると、あきつ丸がやや傾きかけた飛行甲板のある船尾が僅かに曲がった状態で進んでいる。
 さらに十秒か二十秒、凄まじい水煙りが、あきつ丸の中央部辺りから天に冲し、しばらく間をおいて、ズドーン!と前よりさらに大きな轟音が上がった。
 二発目の魚雷が止めを刺すように命中したのだ。(神州丸乗船の方)

●十五日正午前。食事の準備に上甲板に出たとき、対潜警報が発令され、同時に左舷を航行していたあきつ丸が目の前で(ほんとうに目の前のように感じた)大爆発と共に、船体がど真ん中から真二つに割れてみるみるうちに沈んでいった。
 後には重油がどろどろと海面を覆い、その中に船体の破片や戦死者の爆発時にもぎ取られた肉片、遺体など形容しがたいものが波間に漂い、救助収容することもできなかった。
 轟沈とは歌ではよく口にしたが、実際には初めて見た。その恐ろしさは今でも忘れるものではない。(神州丸乗船の方)

●あきつ丸の音波探信儀や水中聴音機も活動し、毎回「異状なし」の報告がなされていた。
 昼食の準備ができたので、船橋後部の待機所に入り箸をとった瞬間、対潜警報が鳴り響いた。
 甲板上の特攻艇の固縛ロープを切断したため、艇はバラバラと海上に滑り落ち、その後の救命に役立ったが、左舷から海に入った者は飛行甲板の下敷きになり、数多くの生命を失う結果となった。
 私達が四・五十メートルほど船体から離れた頃、あきつ丸は赤い船底を見せながら、裏返しの形で空しく海中に没し去った。まことにアッという間の出来事としか思えなかった。(あきつ丸の船砲隊の方)

長々と書きましたが、あきつ丸の沈没の状況をまとめると以下の様になると思います。
・ 雷撃された時間は、11時50分~12時15分の間で、約3~10分で沈んいる。
  あきつ丸は隔壁のない船ですから、穴が開けば沈むのは早かったと思います。
・ 雷撃の魚雷本数は、2~3本で、雷撃された回数は1~2回
  この部分は、Wikipediaの記載と大きく異なる部分がありますね。
・ 潜水艦クイーンフィッシュを掃討に向かったのは、択捉・大東・樫らしい・・・?
  船団出港時の艦隊列を見ると旗艦位置には択捉がいる・・・・ 司令の乗船艦は神鷹だったと思ったが・・・
  (下のあきつ丸雷撃時の隊列ではありません。)
この時のあきつ丸は音波探信儀や水中聴音機が故障していたとの話もあるようです。

この時、輸送船に乗船された方は、抽選により乗船艦が決まったとの記載が多いですね。
「乗船を抽選で決める
 私が引いたのは四センチ四方の白い紙に、○の中に「シ」と書いてあった。
 征途に向かう者にとって「シ」とは、前途不吉な予感を覚え、心中穏やかではなかった。
 「ア」はあきつ丸、「マ」は摩耶山丸、「シ」は神州丸であった。」
この3隻中、この航海で沈まなかったのは、神州丸だけです。
摩耶山丸は17日に沈んでいます。

最後にあきつ丸が雷撃を受けた時の艦隊列です。
この図も「ミ二七・ヒ八一船団の記録 哀しき鹿島立ち (陸軍兵器学校第六期火工科八区隊 四期生遭難記録資料作成委員会 )」からの参照です。
akitu.jpg

輸送船:聖川丸 、摩耶山丸、吉備津丸 、神州丸、あきつ丸
タンカー:東亜丸 、 橋立丸 、音羽山丸、ありた丸
給油艦:みりい丸
護衛艦 : 護衛空母 神鷹 、駆逐艦 樫 、海防艦第9号、 第61号、択捉、対馬、大東、久米、昭南

興味を持たれた方は、いくつかの図書館に所蔵されているので、読んでみたらどうでしょうか。
寄贈先:靖国神社、遊就館、昭和館、国立国会図書館、防衛省防衛研究所、相模原市立博物館、野間文化財団野間公民館

最後に
連絡先があったので、数回連絡をしたのでが不在なようで、掲載に関して許可をいただいておりません。
問題がある場合、ご連絡をいただければ対応いたします。
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軍艦だけでなく多くの徴用された船の方々も亡くなられていますね。
大きな軍艦の最後はいろんなところに書かれていますが輸送船の最後はあまり知られることがないのも寂しいです。






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