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2016.09.30    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

    陸軍空母 「山汐丸」の錨

H08年7月、「みなとみらいセンタービル」建設中に、地中から錨が見つかった。
これが、陸軍運用艦の護衛空母兼用仕様のタンカー「山汐丸」の碇であった。
陸軍運用艦と書いたのは、前型の海軍運用艦のしまね丸もほぼ同型の護衛空母兼用仕様のタンカーであった。
山汐丸は三菱横浜造船の第四号船台で建造され、昭和19年11月14日16時05分に進水し、昭和20年1月27日に竣工。
係留中の45年2月17日、米軍機の爆撃を受け、右舷外板などを大破。(場所は現在の瑞穂埠頭あたり)
その後、46年3月9日(だいたいです!)にはGHQの指示で現在の山下埠頭と横浜ベイブリッジの間に移動し、
47年7月24日までには造船所脇の係留。その後、船首部分が折れて沈没する。(三菱横浜造船所の5つある船台のうちの2つの船台を塞ぐ)
一部引き上げ後、造船所の2つの船台北側に接岸され、岸壁(7号岸壁)として利用された。(場所は「MARK IS みなとみらい」あたり)
昭和31年に造船所拡張により撤去。
20160925-11-24 mm

碇の説明板ですね。
20160925-13-30 mm

石の石板で初めて山汐丸事が書いてありますが・・・
この碇、海軍型ですよね。。。。
しかし・・・「飛行機を搭載していました」とは・・・運用前なので、1回も搭載してないと思うのですが・・・
20160925-12-32 mm

山汐丸の碇が発掘されたあたりですね。
20160925-14-.jpg

この場所
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私の父は山下汽船で一等機関士でした。
父と叔父から当時の話を聞かされたことを思い出します。山汐丸に400名近くの人達が乗船しており、父も乗船していました。山汐丸が横浜港から進水しようとした時に空襲されて沈没してしまいました。その後、横浜港で運良く泳いでいた父とまかないさんが助けられたそうです。すっかり平和のシンボルになったみなとみらいですがこんな悲惨な事がありました。






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