2016.06.25    カテゴリ: スポットお土産 

   よこすかポートマーケット

家に帰る前にお土産を購入しによこすかポートマーケットに。
以前と比べバイクも停めやすくなっていますね。
中は・・・お土産屋さんというよりもスーパーと言う雰囲気というかんじでしょうかね。
今日は、生しらすと干物と生魚です。
持参のクーラーボックスに入れれば1時間程度なので大丈夫でしょう。
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中にハイフリのショップが出来ていました。
品数はそれほどでもないので、少し寂しい感じ。
Tシャツは少し魅力でしたが・・・・
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ハイフリについての個人的考察。
ハイフリに出てくるはれかぜ。
「はれかぜ」とは日本語(雅語等含む日本語の表現、語句)にはない・・・(ちょっと調べた)
そこで、晴風と書いて「はるか」と読む事に気づいた。
「はるか」と読む日本語には幾つかありますよね。
春香・春賀・遥・春花等ありますが、駆逐艦の艦名にも同様に読む駆逐艦が1艦だけありました。
「春風」です。これも「はるか」と呼びます。
晴風の外見のモデルは小型駆逐艦の白露型で、名前は神風型の春風から来たのかと・・・・
多分、考えすぎだと思うのですが・・・・
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この場所
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2016.06.24    カテゴリ: スポット景観・撮影 

   葉山の上山口棚田

葉山の上山口にある棚田です。
三浦半島にも棚田があるのですね。
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能登・千葉の棚田と比べると規模は小さいですが、いい景観ですね。
下からの景色はいいポジションがとれないので上からの景観だけです。。。。
中央に目立つ建物は和か菜と言う蕎麦屋さん。
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この場所(写真POS)

2016.06.23    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   通信学校神社

長安寺です。
立派な神社ですね。
お寺にお参りに来る・・・・という感じのお寺ではないような気がしますが・・・
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寺の片隅にある、通信学校神社。
通称通校神社がありました。
でも、鳥居にも、神社にも神社の名前を何処にも書かれていないですね。
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名が何も書かれていないのは、進駐軍から神社を守る為かもしれませんね。
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この場所

2016.06.22    カテゴリ: スポット寺社・教会 

   観音寺跡

観音崎の由来となった観音寺跡の碑。
元々は観音崎灯台の下にあった観音寺や海蝕洞穴に祀られていた鵜羽山権現は、陸軍の砲台を作ることになり、ここに移された。
その後、昭和61年の火災で消失している。
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観音寺の案内板ですね。
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観音寺跡の隣には、駆逐艦村雨の慰霊碑。
向いの大きい家はPVとか撮影されるスタジオですね。
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この場所

2016.06.21    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   須賀海軍下士官兵集会所指定旅館 蓬莱屋

横須賀は海兵団を含め多数の入隊者・来訪者が集る場所であった。
その為、海軍関係者が宿泊する旅館が横須賀には多数あった。
建て直して今でも旅館の営業を続けている一国屋等もあるが、当時の面影を残す旅館は蓬莱屋のみとなっているようだ。
シャッターが閉まっているが、蓬莱屋の玄関ですね。
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全貌ですね。
サッシになっていますが、当時の面影が残っていますね。
でも、今は旅館はやってない。。。。。
当時、入隊前に最後に家族と宿泊する場所として利用されたようですね。
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この場所

2016.06.20    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   海軍通信学校跡碑(海軍水雷学校)

海軍水雷学校・海軍通信学校後の碑ですね。

昭和14年当時、水雷学校の練習艦とななっていた駆逐艦響・雷。
海軍病院の隣に陸戦隊の宿舎があり、そこから響に配属になったと本にありました。
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大艦巨砲主義・レーダー技術と海軍敗戦の根幹を成す遅れを取り戻す為、昭和19年に海軍通信学校はレーダー技術の教育を始めてはいるが、翌年には終戦となり、技術の遅れを取り戻す事はできなかった通信学校。
通信学校のせいではなく、武器・装備開発を担当していた軍令2部の責任でしょうかね。
ちなみに2部部長は真珠湾の参謀黒島亀人。
彼は軍令部2部では特攻兵器ばかり開発している。
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関東自動車の前にあった海軍水雷学校跡の碑。
ここにあったのですね。
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碑の移動の理由が案内板に書かれています。
移動しても残してもらえるのはいい事と思います。
日本では、WW2の歴史は思った程検証されていないので、少しでも資料を残すべきと思ってます。
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後方にある碑は日清戦争で魚雷を発射できなかった責で自決をした人だそうだ。
ただ、当時が時間が経つと火薬が湿気を帯び発射できなくなる事がわかっていなかったので、彼自身に責任はなかったと言われている。
自決当時の艇長はのちの内閣総理大臣鈴木貫太郎だった。
壮絶な責任感ですね、こういう人は死んじゃいけませんよね。
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この場所

2016.06.19    カテゴリ:  写真日記 

   横須賀散歩

今日は、横須賀の朝散歩ですね。

まずは、横須賀の陸戦隊宿舎?があったあたり・・・・
本による知識なんで、実態の場所とはずれがあるかも・・・・
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昭和14年の暁が第六駆逐隊に加入するまでの間、第六駆逐隊の響・雷は練習艦として、この田浦湾に停泊していたとある。
この時、電は呉で修理中・・・・(深雪との事故ですね。)
今日は女性艦長で有名となった海洋観測艦わかさが停泊しているようですね。(今は違いますけど)
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朝の横須賀の街ですね。
車も殆ど走っていません。
でも、家族連れの外人さんが何処かに出かけるのでしょうかね、結構歩いています。
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一応アートがポツポツありますね。
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東京もそうですが、早朝は人が少なくていいかもですね。
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