2015.10.09    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   五浦六角堂

1905年に岡倉天心が私邸の1段下った断崖に思索の場所として設計した建物。
岡倉自身は観瀾亭と呼んでいたそうです。
2011年の東日本大震災では津波による被害で流失しており、2012年に再建されている。
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天心の私邸も残っていました。
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私邸の説明板です。
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行くまで有料でかつ観光地とは思っていなかったので、少し驚いたんですよね。
バイクは入口脇に無料で止める様になっていました。

この場所
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2015.10.08    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   海軍特攻艇「震洋」平潟基地跡

震洋は、1943年黒島亀人連合艦隊主席参謀の発案で開発を始めた特攻兵器。
船体は木製で、トヨタの4tトラックのエンジンを装備し、約30ノットで250kgの爆弾を抱えて敵に突入する兵器。
陸軍のマルレとは、ほぼ同じ物となる。
震洋の戦果はわかっている物が少なく、米国の記録にてフィリピンのルソン島リンガエン湾にて4隻被害があったとの報告がある。
日本本土決戦時には、入り江の奥の洞窟などから出撃することが計画され、各地に基地跡が残る。

平潟基地は1944年に141部隊がここに震洋の部隊を設置している。
日本の特攻に関する記述には、黒島亀人連合艦隊主席参謀が全て出てきますね。
日本人による太平洋戦争の戦犯を選ぶとするとこの人が筆頭かもしれませんね。
海外より日本人は反省していないと言われる一因は、日本人による太平洋戦争の戦争犯罪の立件ではないかと思うときがあります。
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この場所

2015.10.07    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   澤風・汐風の軍艦堤防

いわきの澤風・汐風の軍艦堤防を見に来ました。

と言っても、軍艦の一部でも見れるわけではなく、埋まっているところが判るくらいですが。

汐風は峯風型の8番艦で第二駆逐隊に配属され、太平洋戦争時は、南方で海上護衛に従事。
大戦末期には、回天搭載艦へ改修されている。
終戦後、復員輸送を行っている。
澤風は風型の2番艦で第二駆逐隊に配属、1930年には赤城の直衛となっている。
1942年から東京湾口ので対潜掃討に従事。
1945年からは第1特攻戦隊の特攻攻撃訓練目標艦となり、無傷で終戦を迎えている。
千葉に慰霊碑のある沖風と同じ駆逐隊の艦船ですね。

写真中央で草がまったく生えていない場所が汐風の埋まっている場所ですね。
震災での工事でもうすぐ場所がわからなくなる可能性があると言われています。
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この場所

軍艦堤防の説明板ですが、殆ど読めませんね。
見に来る人もあまり居ないと思い、観光資源としては見限られたのかもしれませんね。
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澤風が基礎となって沈んでいる堤防です。
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この場所

ら・ら・ミュウの無料休息所の隅に置いてある汐風の模型です。
自衛艦の「みねゆき」乗員有志が、廃材を利用して作成したようですね。
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横にある汐風の模型の説明です。
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近くの三崎公園に澤風のタービンがあると聞いていたのですが、5年前に撤去されていました。
あった場所は今遊具がありましたね。。。

2015.10.06    カテゴリ: スポット気になる 

   薄磯海水浴場 だった場所

薄磯海水浴場だった場所です。

だったと言うのは、護岸工事で大きい防波堤が作られ、海水浴場だった浜は無くなり、高い堤防となってしまった。
微かに残る砂浜がここ。
幅が200mくらいでしょうかね。
ここは震災後遊泳禁止となっていた砂浜で、ついに津波対策で浜は消滅ですね。
砂浜に展望台があり、いい写真が撮れそうと思いきたのですが、残念ですね。
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まぁ、撮ってみました。
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この場所

2015.10.05    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   軍艦名取の艦内神社(青葉神社)

明治6年に藩祖伊達政宗公を祭神として創建された神社。
けっこう新しい神社ですね。

今回は軍艦名取の艦内神社としてきたのですが、今一確信が持て無い状態のまま来ています。
根拠とされる資料が今一怪しいんですよね。(内容を否定する文書の存在・・・)

ちなみに「Wake Up,Girls!」の聖地でもあるらしい・・・・
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絵馬には結構の数の「Wake Up,Girls!」の絵馬、それに「戦国BASARA」のもありますね。
多分、宮司さんが伊達政宗の家臣であった片倉小十郎の子孫であるからなんでしょうが・・・
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宮司さんに話が聞けたので、名取の事を聞いたのですが、資料(奉納写真・手紙・関係資料)は無いとの事。
寺社内での伝え事にも、名取についての話は聞いていない。
最初にこの話を知ったのが、結構前(年数は覚えてないそうですが、結構昔らしい)で一般の研究者の人からだそうです。
神社でも、確信がもてない以上、公然と名取の艦内神社とは言えないと話していました。
現在の社殿は昭和2年の造営ですが、時代背景を考えても、あれば残っていると考えるのが普通とおもいますが・・・・どうですかね。
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この場所

2015.10.04    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   宮城縣護國神社

仙台城本丸跡に創建された神社で、宮城県関係の戦死・殉難者、5万6千余柱の英霊を祀る神社です。
宮城縣護國神社は靖国神社と同様に「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた者」を祭神しており、敵軍(戊辰戦争での仙台藩関)となった者はまつられていない。
また、寺社の人に話を伺ったとき、伊達氏統治の否定の護国神社を「戦国BASARA」ファン(歴女)が政宗を祀る神社と勘違いして絵馬を奉納されるのは・・・・・と言っていたのがおかしかった。。。。
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鎮魂の泉です。
宮城の山河をモチーフに5万6千余柱を祭神に、ガダルカナル島・ビルマ・硫黄島・グアム・サイパン・テニアン・中国・占守島等から集めた、石・珊瑚・砂等で作られた泉ですね。
水は地下180メートルより汲み上げた水を24時間流しているそうです。
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泉の説明版です。
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英霊顕彰館に入ります。
まず、目に付いたのが、山本五十六元帥愛用の望遠鏡。
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もっと、興味を引いたのが、山本五十六乗機の破片。
100式司偵の破片なのでしょうかね・・・・
山本五十六元帥を間接的に殺した黒島亀人連合艦隊首席参謀を思い出します。
(山本元帥の護衛機を50機から3機(もしかしたら5機)に減らした張本人ですね。戦後戦犯にならない為、山本五十六婦人より資料を盗んで戦犯を逃れたとも、言われている人物)
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大和・秋津州・伊19等の模型がおいてありました。
写真は回天装備の北上ですね。
艦これでも北上が、「あれだけは乗せないでよね」と言う台詞言っていたと思います。(伊58も同様ですね。)
ちなみに特攻の立案と推進責任者は表向きには大西瀧治郎と言われていますが、実際は黒島亀人ですね。
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沖縄のひめゆりの塔等を思い浮かべる様な、戦没者の写真が貼られていますね。
全員ではないと思いますが、写真を見ていると何か語ってくるように感じます。
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館内には「軍艦多摩」の慰霊碑の関係者もしくは資料をお持ちの人を探しているポスターがあったので、一部資料を持っていることもあり、声をかけましたが、担当者が不在で意味不明のまま終わってしましました。
ま、世間話は少しできたので良しとします。

この場所(場所は駐車場の入口です。バイクは100円)

2015.10.03    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   軍艦愛宕慰霊碑

重巡洋艦愛宕の慰霊碑は三島郊外にある妙法華寺にあるが、仙台在住の戦没者の為に、ここ愛宕神社にも慰霊碑があった。

愛宕神社は広瀬川を隔てる標高75mの愛宕山の頂上にあり、愛宕信仰にもとづく愛宕神社の一つ。
愛宕信仰とは、簡単に言うと防火ですね。
元々は米沢にあった愛宕神社だが、伊達政宗の転封に従って岩出山へ転出し、その後仙台(1650年)へ移転した。
と言う、歴史ある神社のようですね。
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社殿も2001年に半改装してるとはいえ、歴史を感じる作りです。
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この慰霊碑は宮城県出身者27名の戦友・御遺族が愛宕神社の境内に終戦50年を記念し石碑を建立されたものです。
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案内板ですね。
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境内の展望台からの仙台の風景です。
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この場所

2015.10.02    カテゴリ: ロケ地映画・TV ロケ地 

   映画「100回泣くこと」ロケ地

2013年6月22日公開で大倉忠義・桐谷美玲主演の日本映画。
原作は77万部を売った中村航の小説。
ロケ地は東京と仙台ですね。
映画に出てくる教会は近所だったので、以前見に行ってますね。
今回は傍を通ると言う事もあり見に行ってみました。

行った場所は白石市が作った市営住宅。
高齢者向き住宅の様ですね。
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もしかしたら隣の棟だったかも・・・・・
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この場所

2015.10.01    カテゴリ: スポット鉄道 

   東北本線 田姥神沢旧鉄道レンガ橋

日本鉄道(私鉄)が1887年12月に開業し、開通した。
しかし、民家のすぐ傍を通る為、度々火の粉で火災が起きたという。
1902年9月に藤田駅が出来て、1906年に国鉄に買収される。
1917年に路線を北に移動し、現在の東北本線の路線となる。
この場所は、移設されるまで路線として使われていた場所ですね。
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脇にある説明板ですね。
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実際のレンガ橋はこんな感じ。
元の路線から50cm程新たにかさ上げして現在の道が作られているようですね。
ちゃんと全体を見れる場所がないので、こんな感じでしてお見せできませんが・・・・
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この場所


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