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2015.05.31   カテゴリ:《 艦コレ 》
  駆逐艦五月雨の慰霊碑
2015.05.30   カテゴリ:《 艦コレ 》
  旧横須賀海軍鎮守府 海軍高等官保健所水光荘
2015.05.29   カテゴリ:《 史跡・遺構 》
  熱海 千笑
2015.05.28   カテゴリ:《 艦コレ 》
  まるゆ慰霊碑
2015.05.27   カテゴリ:《 艦コレ 》
  空母天城の艦内神社?
2015.05.26   カテゴリ:《 艦コレ 》
  重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑(その3)
2015.05.25   カテゴリ:《 艦コレ 》
  重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑(その2)
2015.05.24   カテゴリ:《 艦コレ 》
  重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑
2015.05.23   カテゴリ:《 ツーリング 》
  伊豆ツーリング
2015.05.12   カテゴリ:《 艦コレ 》
  軽巡洋艦多摩慰霊碑
2015.05.11   カテゴリ:《 艦コレ 》
  駆逐艦雷の艦長の墓(工藤俊作)
2015.05.10   カテゴリ:《 艦コレ 》
  駆逐艦初霜の碇
2015.05.09   カテゴリ:《 気になる 》
  ガード下のトリックアート
2015.05.08   カテゴリ:《 史跡・遺構 》
  旧両国国技館
2015.05.07   カテゴリ:《 艦コレ 》
  伊33号の潜望鏡(潜水艦殉国碑)
2015.05.06   カテゴリ:《 艦コレ 》
  第一駆逐隊の碑
2015.05.05   カテゴリ:《 ツーリング 》
  都内ぶらぶら

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2015.05.31    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   駆逐艦五月雨の慰霊碑

早川にある東善院に来ました。
ここには駆逐艦五月雨の慰霊碑があります。
数ある駆逐艦の艦名の中では、私がもっと好きな名前が「五月雨」
昔は梅雨の事を五月雨と言ったそうですね。
(ちなみに艦これでの私の秘書艦は吹雪です・・・五月雨ではない・・・・)

狭い道を通りお寺の前です。
普通のお寺とは違い、墓地を守ると言う感じのお寺ですね。
お参りとかで来る感覚にはなれないかも・・・
20150523_25_.jpg

このお寺特徴がこれ。。。。
意外と大きいですね・・・・4~5mm位あるでしょうか?
20150523_26_24 mm

墓地の最上段に五月雨の慰霊碑がありました。
五月雨は第二駆逐隊に所属し、島ビガン攻略作戦・リンガエン湾上陸作戦・タラカン上陸作戦・バリックパパン攻略作戦・スラバヤ沖海戦・比島保定作戦に参加後、ミッドウェー作戦では攻略部隊に参加。
ガダルカナル戦もフル参戦し、第三次ソロモン海戦では、夕立の雷撃処分を行っている。
ブーゲンビル島沖海戦・渾作戦・マリアナ沖海戦参加後、パラオ近海で座礁、離礁作業時にB-24爆撃機の空襲、米潜水艦の攻撃により船体断裂で放棄される。
五月雨の喪失により白露型は時雨のみとなる。
こまかく書いたらどんだけの長さになるかわからないので、簡単に戦歴を書きました、殆どの戦線に参加している駆逐艦ですね。
ただ、変なエピソードも多い艦です。。。。
1.ブーゲンビル島沖海戦で味方がいるのに気付かず魚雷を発射。(当たらなかったから良かったね!)
2.比叡に機銃を誤射したら、比叡から砲撃される。
3.夕立を雷撃処分で雷撃しきれなかった。。。。(沈没できなかった)
4.迷子になって利根が見つける。
5.食事が美味しくないので有名。。。。
等色々あるようです。
20150523_27_.jpg

五月雨の慰霊碑から見える景色です。
慰霊碑の中では、トップクラスの眺望ですね。
20150523_28_24 mm

この場所
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2015.05.30    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   旧横須賀海軍鎮守府 海軍高等官保健所水光荘

海光町の石畳にある旧横須賀海軍鎮守府 海軍高等官保健所水光荘です。

今は個人所有の家となってますが、当時のままある程度補修して利用されているようですね。
利用していたのは、原則少将以上の高官の方々のようです。
かの有名な山本五十六等も利用されていたようですね。
20150523_22_24 mm

水光荘のプレートも当時のままではないでしょうが、残っています。
20150523_23_34 mm

窓枠とか、最低限の補修はされているのですが、当時の面影を色濃く残していると言えますね。
20150523_24_36 mm

この場所

2015.05.29    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   熱海 千笑

熱海の赤線街だった場所に残るカフェー?千笑です。
この店の歴史についてはよく知らないのですが・・・・・
ただ、熱海の海軍保養所に来る士官が来ていたとの記述を頼りにやってきたんですよね。
今ではただの空き家のようですね。
壁もボロボロみたいですし・・・
20150523_21_24 mm

この場所

2015.05.28    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   まるゆ慰霊碑

下田のペリー通りから山を越えた場所に在る大浦八幡宮です。
ひっそりしている海辺の神社に下田を母港としていたまるゆ1001(八号挺)の慰霊碑があります。
20150523_20_.jpg

寺社脇にデンとあるまるゆの慰霊碑です。
すぐわかりますね。
20150523_19_24 mm

まるゆは潜航輸送艇と言い、輸送を行う潜水艦ということになります。
まるゆは350t程の小さな潜水艦ですが、輸送船としては海軍の潜水艦より多く輸送できたそうですが、潜水艦としての安全性は無いに等しい状況だったようです。
だだし、今回のまるゆ1001型は色々改良されていたようで、まるゆの中では高性能艦だったようですね。
当時は真剣に輸送任務取り組んでいたのでしょうが、読むと笑える逸話が満載の潜水艦となっているが、
本からの創作で大げさになっているだけで、ある意味殆どががデマと思われますね。
また、事実であっても裏が取れない物もあり・・・・真実は不明とも言えます。
「大和のの登舷礼」の話もありますが、書いている本人の話以外が出てこない・・・・

この慰霊碑はまるゆ1001なので、下田母港として伊豆諸島の輸送任務を担当していたようですね。
この碑では、8/13日に攻撃を受け戦死者を出し、沈没したと受け取れますが、大破着底だったようです。
その為、8号挺は終戦時現存となっているのかもしれませんね。
20150523_17_48 mm

まるゆ38隻中、戦争中に敵からの攻撃での沈没は2艦で、その内の1艦が今回の1001ですね。
20150523_18_44 mm


YouTubuにあるこのまるゆが今回の1001号のようですね。
また、まるゆが瀬戸内海を運行した記録もさがしたのですが、見つかりません。。。。。
「大和のの登舷礼」でなぜ、まるゆが来島海峡を走行していたのか不思議です・・・・(まるゆは瀬戸内海には配置された記録がみつからない・・・・ま、配置が不明の艦もあるので可能性はあるかも・・・多分、宇品港所属ではと思います。)


この場所

2015.05.27    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   空母天城の艦内神社?

空母天城の勧請元と言われる天城神社です。
以前「ぶさいくな狛犬」と言う記事でも来た場所ですね。

でも・・・・天城の勧請元と言われているが、資料らしい物は何もないのですよね。
ここが天城の勧請元と知ってから、遺族会・神社等にも問い合わせたりしたのですが、不明です。
唯一あるのは、本・・・・(しかし、根拠が希薄すぎ・・・・)
とりあえず、神社には奉納写真も無いので、勧請元は不明と言う事で・・・・(^^;
20150523_14_26 mm

以前来た時と変わらず、放置プレイ続行中という境内ですね。
20150523_15_34 mm

以前来た「ぶさいくな狛犬」です。
内容はリンクから
20150523_16_44 mm

この場所

2015.05.26    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑(その3)

1ケ所で3回に分けてUPは初めて・・・

愛宕の慰霊碑の隣に朝霜の慰霊碑がある。
木に邪魔されて見えづらいですが・・・

朝霧は夕雲型の16番艦でね。(艦これでは最近実装された艦ですね。)
第三十一駆逐隊に配属され、メリカ潜水艦トラウトの轟沈で知られる艦ですかね。
礼号作戦にも参加しているが、BACKUPで作戦行動にはでておらず、愛宕の乗員救助等をおこなっていた。
北号作戦にも参加。
一番朝霜の名を聞くのは、多分「坊の岬沖海戦」だと思います。
子の海戦では、響の曳航後、艦隊に戻ったが、機関故障を起こし速力低下し、艦隊から落伍した。
この時、「我敵機ト交戦中」「90度方向に敵機30数機を探知す」との無電を発した後、連絡が途絶たと聞く。
朝霧の沈没により、夕雲型は全艦沈没となった。
就役後1年4ケ月後であった。
20150523_09_32 mm

他の慰霊碑の説明板と比べると新しい朝霜の説明板ですね。
建立趣旨が書かれています。
20150523_10_.jpg

反対側には朝霜の戦歴等がかかれてますが、簡単に書いているので、多少抜けている部分もあるようです。
20150523_11_.jpg

この場所

2015.05.25    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑(その2)

重巡洋艦愛宕と駆逐艦朝霜の慰霊碑は昨日の梅の慰霊碑の奥に並んでhttps://www.google.co.jp/maps/place/35%C2%B007'27.1%22N+138%C2%B057'47.4%22E/@35.124198,138.963172,19z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x0!6m1!1e1?hl=ja設置されています。
周りの木が大きくなり、慰霊碑を圧迫しているし、2つの慰霊碑が異常に近いのは多分、移設されたからではないでしょうかね。
慰霊碑の土台も他に比べて非常に安い作りになっているのが、とても気になりました。

まずは、重巡洋艦愛宕です。
今回のツーリングでのキーワード「パンパカパーン」に相当するんですが・・・・
ゲーム艦これでの愛宕の挨拶なんです・・・・(^^;

重巡洋艦愛宕は高雄型重巡洋艦の2番艦だが、1番艦高雄より早く完成している。
また、沈没までの期間、第二艦隊の旗艦であり、金剛型・長門型・大和型の戦艦を指揮下に置いていた。
これは艦橋が広く、艦隊司令部の機能と厨房が近代化されていた事も関係していると言われている。
現代の自衛艦あたごも同様な機能が充実しており、また艦橋も大きい・・・・伝統ですかね・・・・
ジェーン海軍年鑑では、若干の誤記がある。(最新ではなく所持している6年前の物ですが・・・なかなか買えない・・高いんだもん・・・・当時18万円程・・・)
同じくジェーン海軍年鑑では、高雄型が日本海軍最後の重巡洋艦として建造されたとされている。
後の利根型などは軽巡洋艦と扱われていた。。。。。(砲の関係かも?)

愛宕はレイテ沖海戦で潜水艦により轟沈しているが、この事が、この後の第二艦隊(旗艦大和)の命運を変えたと指摘している人も意外と多い。(大和・武蔵の特攻作戦につながったと言う意味のようだが・・・・)
そういう意味では、失われた損害が大きかった軍艦と言える。
20150523_08_24 mm

愛宕の碑は、他の2つの碑と違い戦歴等の案内板はなかった。
碑の回りは雑草が生い茂り、清掃も立ち行かない感じで、持って行った手ほうきで簡単な清掃を思わず行ってしまった。。。。
不謹慎だが、私の艦これでの重巡洋艦のエースが愛宕さんと言うか高雄型なんですよね。
20150523_07_36 mm

不謹慎ですが、キーワード「パンパカパーン」の動画・・・・
気を悪くしないでください・・・・


この場所

長くなったので「朝霜」は明日です・・・・(^^;

2015.05.24    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   重巡愛宕/駆逐艦朝霜/梅の慰霊碑

三島郊外にある妙法華寺に3艦の慰霊碑はある。
しかし、妙法華寺の本殿内ではなく、駐車場と霊園開発している脇にある忠霊殿の傍に設置されている。

本殿と違い、ぼろぼろに朽ち始めている忠霊殿。。。。。
妙法華寺の他の建物と比べるといかに手をかけていないというコントラストがすさまじいですね。
場所は静かで落ち着いているのですが・・・・
20150523_12_24 mm

3つの慰霊碑は忠霊殿の脇にほぼ放置状態で置かれている。
通常、普段はお寺が日々の清掃を行っており、同じ放置でももう少し綺麗なのですが・・・・
20150523_13_.jpg

まず、一番手前にあるのが、駆逐艦梅の慰霊碑。
梅という艦名は通常二等駆逐艦(排水量1000t以下)につける艦名なんですが、戦争末期に建造された丁型駆逐艦(松型・橘型等と分けられて説明されている場合もあるが、特型と同じく書類上では分類はなく丁型との記載だけ。)は32隻の3番艦が梅となる。
戦時建造なので、短期間での建造に実現する為、直線的な構造で、材料も入手・加工しやすい鋼材を用いている。
装備も従来の水雷戦を重要視せず、近接防空にを重要視し、魚雷4連装×1、12.7mm単・蓮装砲×各1,25mm機関銃(短・蓮)×計12門となり、機関も従来艦より馬力のない19000馬力となりなったが、速力は32ノットを確保している。(後期になると28ノットとなる。)
しかし、工法として缶・ボイラーと別々に設置していた構造を、缶・ボイラーとセットで設置するなどの、艦の生存性を高める構造はエポックメイキングな艦と言える。
事実、丁型の梨は戦後自衛艦わかばとして唯一戦後就航した駆逐艦(S45退役)となっている。
20150523_05_30 mm

梅の艦暦は結構詳しく石碑に書かれていますね。
丁型は艦隊戦ではく、輸送護衛任務用に建造された駆逐艦といわれていますが、戦争後半で制空権の無い状態では、輸送・護衛も無理があり、航空機の爆撃を受けて、梅は就役してから半年後に沈没しています。
20150523_06_.jpg

過去見た慰霊碑の中では、最低クラスの維持状態です。
遺族会の問題と言うより、通常清掃のお寺の問題と言う感じがします。
本殿は綺麗に清掃してるのですから、もう少し・・・・・

同時にあと2艦書くと長くなりそうなので、明日に続きます。

この場所

2015.05.23    カテゴリ:  ツーリング 

   伊豆ツーリング

伊豆へツーリングです。
コースは自宅を5:00出発。
厚木から小田厚・新道で箱根を越えて三島から伊豆に入り、天城からR414で下田。
下田からは東伊豆の北上して厚木から小田厚・高速で15:00頃帰宅と言うコースですね。

今回のツーリングのキーワードは
・梅雨です!
・パンパカパーン!
・もぐらじゃないもん!
等ですが、意味わかんないですよね。。。。。
とりあえず、軍艦物です。。。

関東には横須賀鎮守府があったのに、意外と軍艦関係の慰霊碑は少ないですよね。
どうしても建てるのに苦労するのでしょうかね。。。
遺族会の方が手をつくして立てているようですね。

最初は三島にあるお寺です。
ここには3艦の慰霊碑が立っていますが、特に3艦と関連のあるお寺ではないようです。
お寺の扱いも悪いようですので、かなり痛んできている感じがしますが、立派な慰霊碑です。
しかし・・・寒い・・・・日中の気温予想でウエアを決めたので、震えがきてしまいました。
20150523_01_48 mm

移動して、湯ヶ島にある神社です。
この神社の狛犬は有名で、以前見に来た事がある。。
しかし、何故ここなんだろう・・・・と疑問だが、多分あの本のせいかもしれない。。。。
調べればわかるのですが、艦内神社は意外と資料があるんですよね。
あの本は発掘できた資料と推測で書かれたのではないかと・・・・推測ですが・・・
ただこの艦の艦内神社の資料は私は見つけていなので、ここかもしれない。。。。
以前衣笠神社でもありましたが、本発刊以降に事実が発掘されている事が意外とありますね。
20150523_02_.jpg

下田のペリー通りです。
まだ、9時を回った位の時間ですね。
お店でニューサマーオレンジをお婆さんが売っていたので、1個購入して朝食がわり。
川沿いの紫陽花も咲き始めていました。
もうすぐ梅雨でしょうか? 新暦では6月が梅雨ですが、旧暦では1ケ月早くなりますね。
ここから海側に越えた所にある神社に向かいます。
この艦については、4ケ月位調べたり、遺族の方に話を聞いたりして、準備万端で向かいます。
20150523_03_36 mm

熱海の石畳の道です。
下田から1時間半程で移動できました。
反対側は渋滞もありバイクのツーリングも大変そうに感じますが、私はスイスイと進めました。
熱海では横須賀鎮守府がらみの施設です。
今は個人宅ですが、外見とかがほぼ当時のままで残っていますね。
20150523_04_24 mm

小田原に到着。
海側の道は少し混んでいたので、旧道で小田原まで来ましたが、ガラガラでしたね。
すれ違う車も数台だし、前も誰も走っていなかったですね。
小田原では早川漁港を見下ろせる所にあるお寺です。
大きい観音様に見覚えがある方もいらっしゃるのでは・・・・
この場所は遺族会の会報で知った場所なんです・・・・(私はこの艦の遺族ではありませんし、ネットにも情報はありますけど・・・・)
20150523_05_24 mm

ここを出て、太平洋戦争最後の爆撃(8/15朝)があった小田原出て帰宅です。
本日の走行距離は340km弱で約10時間のツーでした。

2015.05.12    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   軽巡洋艦多摩慰霊碑

府中の大国魂神社境内にある軽巡洋艦多摩の慰霊碑。
昨年出来たばかりなので、新しいですね。
20150505_21_24 mm

軽巡洋艦多摩は就役1921年1月29日、1944年10月25日戦没。
第五艦隊の旗艦として、真珠湾攻撃時、千島列島で哨戒を行い。
その後、AL作戦参加後、キスカ島・アッツ島への輸送任務を行い、キスカ島撤退作戦に参加するも、幌筵島で待機。
連合艦隊第11水雷戦隊の旗艦となり、レイテ沖海戦で囮艦隊二配属、この戦いで被弾し沖縄に向かうが、魚雷の攻撃により沈没した。

石碑に書いてあるのは「玉の緒の あらんかぎりは 大神の 御恵うけて 國や守らん」
意味は・・・・わかりません。。。。。
20150505_20_24 mm
この場所

2015.05.11    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   駆逐艦雷の艦長の墓(工藤俊作)

埼玉県薬林寺に工藤俊作の墓がある。

工藤俊作とは、駆逐艦「雷」と「響」の艦長を務めた人物。
この人は英巡洋艦「エグゼター」と英駆逐艦「エンカウンター」の乗員422名を救助しした人物で、サム・フォール著の一冊の本(「ありがとう武士道」~ 第二次大戦中、日本海軍駆逐艦に命を救われた英国外交官の回想~)で、初めて日本に知られた。

だが、この実話は1998年の天皇の訪英に反対する国内の一部世論(第二次世界大戦で、日本軍の捕虜となった元イギリス兵たちが、戦争中の捕虜虐待の賠償を日本政府に求め、天皇へ謝罪を求めて、反日運動を活発にしていた。)にフォール卿自身がタイムズ紙への投稿により沈黙したとの話もある。
投稿文は「戦時中、日本帝国海軍に捕虜になったが友軍以上の処遇を受けた」
著者のサム・フォール氏は平成22年に工藤俊作氏の墓前に訪れている。
そして墓前に捧げた言葉は「Thank You」であったそうだ。

とっても綺麗で落ち着いた感じのお寺ですね。
20150505_17_.jpg

お墓には苗字がないので少し探しますが、大きい墓地ではないので見つけるのにそれ程時間がかからないと思います。
大分、知られている方のようなので、花が絶えないようですね。
20150505_18_24 mm

とっても薄くなまがえ書かれていますが、通路脇のお墓となります。
20150505_19_24 mm
この場所(だいたいの墓石位置です。)

長々私が説明を書くより見た方がいいかもしれません。


艦これでの「雷」「電」の性格付け・口癖の元となっている逸話となりますね。
この動画にも工藤艦長が出てきますね。

2015.05.10    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   駆逐艦初霜の碇

墨田区の山田記念病院に初春型駆逐艦4番艦の初霜の碇(メインアンカー)が置いてある。

初霜も1934年9月27日に就役し、1945年7月30日戦没している。
第21駆逐隊でマカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦、アリューシャン作戦、アッツ島沖海戦、輸送船護衛などに参戦。
その後、第五艦隊・第1水雷戦隊で、船団護衛、キスカ島撤退作戦に参戦後、多重衝突事故で内地へ
空母護衛任務、マリアナ沖海戦に補給部隊の護衛艦参加、第二次多号作戦参加し、第二水雷戦隊(旗艦矢矧)へ編入。
沖縄水上特攻作戦では、通信機能を喪失した「大和」の通信代行を行う。
大和沈没後、初霜は第二水雷戦隊旗艦となり、遊撃部隊の指揮権も初霜に移る。
内地に戻ると、初霜艦上で解散式が行われ、第二水雷戦隊は解隊、第17駆逐隊に配属。
その後、砲術学校練習艦となるが、米機の攻撃を受け、着底。
戦後、解体された。

この碇は、山田正明初代院長が初霜の軍医を務めていた関係での縁でここにあるそうです。
病院のマークも碇なのは、その関係かもしれません。
20150505_15_16 mm

説明版によると、初霜が解体時に装備していた碇のようですね。
錆もなく、こんなきれいに保存してある碇は初めて見ます。
院長が初霜に勤務していたのは昭和15年なので、太平洋戦争直後あたりでしょうかね。
20150505_14_24 mm

病院の入口脇に邪魔にならない感じでたたづんでいます。
20150505_16_24 mm

この場所

2015.05.09    カテゴリ: スポット気になる 

   ガード下のトリックアート

両国駅すぐ隣の亀沢町ガード。
うまく見たらトリックアートになる壁画が書かれています。
なんか微妙な感じですが・・・・

このトリックアートは両国駅近辺の壁に結構書かれていますので、結構個性的。。。。
20150505_11_.jpg
20150505_12_19 mm
20150505_13_.jpg

この場所

2015.05.08    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   旧両国国技館

回向院の隣のマンション「両国シティコア」が旧国技館のあった場所。
中央広場の中央に円形の土俵イメージがあるのが、唯一の名残・・・・
これ以外なんの名残もないですね。。。。
20150505_10_64 mm

この場所

2015.05.07    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   伊33号の潜望鏡(潜水艦殉国碑)

東郷神社の境内脇にある潜水艦殉国碑。
太平洋戦争で亡くなった潜水艦関係(含む特殊潜航艇(甲標的等)、回天)の戦没された一万余人の乗員奉っている。

脇にある長い棒は伊33号の実際の潜望鏡を差し込んでいる。
伊33は巡潜乙型15番艦(伊19(4番艦)と同型艦)で、故障で工作船に接岸中の事故で33m海下へ着底。
その後、引き上げし改装するも、伊予灘で訓練中に機関室に浸水し、2名以外全員死亡している。
引き上げ後、解体作業中にガス中毒で3名が死亡。
これ以降、伊33号は呪われている潜水艦と言われ、「3」またはその倍数などが不吉な数字とされたという。
日本海軍不幸艦の十傑の上位に入る艦ですね。
ちなみに十傑とは、「伊33」「麻耶」「鈴谷」「陸奥」「青葉」「涼月」「信濃」「翔鶴」「大鳳」「最上」「飛鷹」「曙」「深雪」と言われています。
・飛鷹 : 信濃・大鳳の設計ベースとなった飛鷹だが、トラック島で発電機室火災。三宅島沖合で魚雷4本で航行不能。マリアナ沖海戦で補給中の攻撃で沈没。不幸は不幸を生むと言う連鎖ですかね・・・?
・最上 : 2度に渡る追突、この時最上にかかわった、三隈・那智・曙は直後に事故ではなく、攻撃され沈没。
・大鳳 : 装甲空母であるゆえの密閉性からの気化ガソリン引火での沈没。
・翔鶴 : 珊瑚海海戦・南太平洋海戦で大破。マリアナ沖海戦で轟沈。共に戦った瑞鶴は無傷ですが、翔鶴が轟沈後の初海戦(レイテ沖海戦)で沈没している。
・麻耶 : 改装できずに開戦、魚雷2本を受け轟沈、乗組み員を救助した武蔵も翌日轟沈。
・陸奥 : 強引に建造を進めた為、英国が戦艦枠2隻増え、これが活躍。建造後も使い道なく、活躍もできず、そして爆発事故で轟沈。
・信濃 : 「世界で最も短命だった軍艦」ですね。竣工から僅か10日で沈没。
・鈴谷 : 開戦当時最強と言われた巡洋艦だが、戦果なくときは過ぎ、敵艦載機の1発で轟沈。
・青葉 : 第1次ソロモン海戦までは、華々しい戦果のある青葉だか、サボ島沖海戦のポカが原因で他の2艦轟沈(関連を含めると4艦)し、ボコボコになり、修理に本土に帰還途中、魚雷を受け航行不能。どうにか港に戻ったら空爆で小破。被害がひどすぎて修理せず放置。最後に呉空襲で大破着底。
・涼月 : 魚雷2本で艦首切断を2回。沖縄特攻作戦で大破。航行不能のまま防空砲台となり、戦後は防波堤になっている。
・曙 : 第四艦隊事件で艦尾に歪み。スラバヤ沖海戦で燃料不足もあり、無謀な命令を無視して逃走。後日、翔鶴護衛艦だったのに守れず、レイテ沖海戦で最上を雷撃処分。マニラ湾で直撃弾2発で航行不能になり、再修理中に攻撃を受け傾斜していたが、隣にいた秋霜の攻撃で弾薬庫が誘爆し着底。(なんか地味につらいかも・・・・)
・深雪 : 吹雪型駆逐艦以降で、第二次世界大戦に参戦していない艦で、駆逐艦同士の衝突で沈没した唯一の艦ですね。(この沈没は深雪乗員の対応不手際の人災と言われていまが?どうなんでしょうかね。)
あ・・・色々意見をまとめると13艦になる・・・・
意外と不幸姉妹(扶桑・山城)は居ない・・・単に設計失敗だからか?
また、不幸を撒き散らす艦としては「雪風」「最上」が二大巨頭のようです。
両方にランクインしている最上はどうすればいいのか・・・・

ちなみに戦時中、日本海軍内での1番の人気艦は・・・・・間宮です。
美味しい食べ物はいつも喜ばれたようです。
20150505_09_16 mm

潜望鏡の先端は外されて蓋されているようでち・・・
20150505_08_.jpg

この場所

2015/05/09追記

2015.05.06    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   第一駆逐隊の碑

東郷神社の参道脇にポッンとあった第一駆逐隊の碑。
軍艦スポットを調べている時でも、ひっかからなかったのに・・・・
歩いていてなんだろうと思い覗きこんだらあったんですよね。

第一駆逐隊とは、峯風級(野風・沼風・波風)+神風級(神風)による本土警備の駆逐隊で、開戦後、南方の船団の護衛等を行っていた駆逐隊。
駆逐隊として大きな活躍があるわけではないが、南方で唯一生存した神風は、第5艦隊の所属となり北号作戦支援・ペナン沖海戦・バンカ海峡に出撃しており、「羽黒」「足柄」の乗員を救助した艦でもある。
神風による武勲で有名なのは旧型駆逐艦神風と最新鋭潜水艦ホークビルとの戦闘。
結局は沈没させられなかったのですが、この戦いは映画「眼下の敵」作成でも参考にされたそうです。
また、潜水艦ホークビルはこの戦い前までは戦果があったのに、この後の戦果は何もなく終戦を迎えています。
駆逐艦が、居ると攻撃は控えたようですね。。。。?
そして、第二艦隊所属となるが、その時、稼動艦戦は神風のみで、それ以外は大破した重巡高雄・妙高のみと言う状態だった。

第二艦隊所属になった神風だが、重巡高雄・妙高と一緒と言うのが、因縁めいていると思っている。
この3艦には、面白い共通点がある。
共にネームシップである1番艦である。
また、艦これ的に言うならば、妹を全て亡くした(沈没)している、生き残った長女であると言う点です。
正確には神風型3番艦の春風が着底大破でとりあえず残ってはいたが・・・

あと、開戦から終戦まで修理・改装等の非稼動期間なく、働いた駆逐艦は神風以外には汐風・雪風・朝顔のみなんですよね。
個人的には、艦隊戦の雪風より悲惨な南方輸送に従事していた神風の方が、雪風より武勲があるのでは・・・と思います。
艦これでも実装すべき艦かもしれませんね。
余談ですが・・・
雪風の所属していた第十七駆逐隊 と第十八十六駆逐隊ですが、天津風を除いて雪風が所属中に全て沈没しています。
天津風も船体が折れる事故で沈没していてもおかしくない事故で修理。その後に、沈没しています。
こんなこと戦争だからよくあるのでは、思っていたのですが、残存艦の隊歴をみると所属艦隊が全て沈没しているのは雪風のみなんですよね。
偶然かもしれませんが・・・
20150505_07_.jpg

この場所

2015.05.05    カテゴリ:  ツーリング 

   都内ぶらぶら

連休はどうでしょうか?
私は家でゆっくりです。
まぁ・・・近所で写真を撮っているか、ゲームしているかなんですが・・・・
艦これもイベントが始まり、E-5クリアで資源切れで、攻略中止中なんですが・・・・
建造せずドロップ(大型建造のみ5回程・・・)のみ、しかも駆逐・軽巡しか育てていないので、60000あった資源が枯渇・・・・
まぁ・・・甲で、なおかつクリアより、艦堀を中心にしているせいもあるんですが・・・・
おかげで持ってない新しい艦が19艦ドロップできて、全169艦中157艦揃ったことになりますね。
残るE-6も最後の資源で2回行き、ROMAと目的だった磯風もドロップしているので、秋津洲をどうするかだけですが。。。
資源が1日1回程度ならできそうなので、淡々と進めて、クリアできれば良しとするつもりですね。
なんせ、育っていない状態で甲だし、1回で4艦隊出撃するので・・・莫大な資源を使います。
そして、補給・修理資源もハンパない・・・・
とりあえず、資源集め中となり、そんなんで、ちょっと走りに出てきました。

最初に訪れたのは、原宿。
早朝の原宿は人気がない。
連休中なので、都内に人がいないのもあるのですが・・・
20150505_06_32 mm

原宿にあるこの神社に訪れました。
軍艦スポットではあるのですが、艦これで未実装の艦ばかり(複数系?)なので、そんなに記事になっている場所ではないですが・・・
20150505_01_24 mm

都内の街角です。
チラッと見えていますが、ここも軍艦スポットですね。
有名ですし、艦これにも実装されている艦なので、ご存知の方もいらっしゃるかと・・・
20150505_02_.jpg

府中の大国魂神社です。
くらやみ祭りの最中なんで、朝なのに人が多いですね。
この神社の境内を歩くのは33~4年振りとなる中3以来です。。。。
ここも軍艦スポットすね。
20150505_03_24 mm

境内では、お祭りの神事も行われていました。
20150505_04_44 mm

明日(5/6)までの限定お守り。。。
お祭りの間のみ販売しているお守りだそうです、巫女さんがあと60個と言っていたので、買ってしましまいた。
買っている脇で・・・十個下さいとの声も・・・・明日まで残っているのでしょうか・・・・
20150505_05_24 mm

今回は軍艦スポット4つ、その他2つと言う感じ。
あと、都内にある気になる軍艦スポットとしては、磯風のスポットがあるのですが、許可申請中・・・・
いつ許可が下りるのか不明ですが・・・・
多分相当頑張って許可をもらわないと無理かも・・・・
国家機関は手ごわい。。。。


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