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2015.04.30    カテゴリ: スポット気になる 

   油壺・験潮所

油壷マリンパークの手前にあるこの標識が目印。
でも・・・見落としがちかも・・・・

今回見るのは験潮所。
験潮所とは海水面の高さを観測している場所。
20150426_12_26 mm

下まで降りてゆくと1894年(明治27)に建てられた験潮所と新しい建物がありますね。
多分、今は新しい建物の方が験潮所として機能してるのかもしれません。
建物の中には、海面の昇降を連続的に記録する験潮儀等を格納しているらしいです。
20150426_13_24 mm

湾奥にはヨットハーバーがるので、ヨットが通ってゆきますが、海とは思えない波の静かさの場所ですね。
しかし・・・登る時はじみにきつい。。。。
20150426_14_24 mm

この場所(降り口辺り)
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2015.04.29    カテゴリ: スポット景観・撮影 

   雨崎の浜

バイクオタ撮影スポットからある意味真っ直ぐ走ると到着する雨崎の浜。

夏になると海水浴のスポットでもある為、結構混雑する。
ただ、車が置けるスペースがそれ程あるわけではないので、芋洗い状態ではないですが・・・
20150426_10_24 mm

ちょっと花咲いたいたのでいいかと・・・・
20150426_11_24 mm

この場所

2015.04.28    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   軍艦衣笠の命名元は・・・・

衣笠山にある衣笠神社です。
正直・・・古くて寂れている感じです。

ここには重巡洋艦衣笠の奉納の軍艦衣笠写真額があると聞いたのでやってきました。
しかし、こんな寂れた神社にあるのかしら・・・・

軍艦衣笠ですが、サボ島沖夜戦での青葉のチョンボで巻き沿い沈没した古鷹・吹雪・叢雲・夏雲と酷い状況の中、タコ状態だった青葉を助けたのが衣笠ですね。
でも、青葉のチョンボがなければ、4艦とも沈まなかったのでは・・・・と思うときがあります。
20150426_09_24 mm

お堂の中を覗き込むと・・・あった。。。。
平野神社にある奉納写真額と同じ写真。
ただ、大分薄汚れている。。。。多分当時のままのものなんでしょうが・・・
20150426_08_60 mm

軍艦衣笠の命名元についていは諸説あります。
①神奈川県横須賀市にある衣笠山
②徳島県吉野川市にある高越山
③京都の衣笠山(平野神社)と、神奈川の衣笠山(走水神社及衣笠神社)
①と③について、現存している当時の資料があるが、②は裏付けする公文書はない・・・・
しかし、③では衣笠神社に「軍艦衣笠写真額」の奉納はしておらず、走水神社と平野神社へ奉納とある。。。。。
まだ、決着が付いたとはいえなのかも知れないが、衣笠神社に「奉納額」があるようなので、京都と神奈川の衣笠山が命名元となっている気がします。


この場所


後日談です。
・走水神社には衣笠の奉納写真は現存していない。
 資料はあるので、奉納さてたのは確実と思われますし、艦内神社には変わりは無いようですね。
 奉納額については、神社で聞けばすぐわかる話ですね。
・衣笠神社に写真額が奉納されていますが、艦内神社への依頼はなかったようだ。
 多分衣笠山の鎮守は衣笠神社だが、艦内神社として迎えるのは走水神社とした為の配慮と考えます。
 当時としては、かなり珍しい配慮と思います。(他に例があるのか知りたい・・・)
当時の宮司などが既に他界している場合が多いので、正確な事は闇の中ですかね・・・・

2015.04.27    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   戦艦比叡の鎮魂碑

衣笠駅から徒歩数分にある光心寺。
このお寺の境内に戦艦比叡の鎮魂碑がある。
丁度、境内裏の斜面の工事中の為、工事の機械などがあり、すこし雑然とした感じですね。
また、お堂裏にある、防空壕と思われる穴もふさがれてしまうような感じ。。。。

戦艦比叡は金剛型2番艦として大正3年8月4日横須賀海軍工廠で竣工。
国内製造の軍艦では、初めての弩級戦艦で、太平洋戦争で日本海軍で初めて失った戦艦でもあります。
個人的見解では、旧日本海軍の戦艦での、唯一の武勲艦といえる金剛型4艦の1艦ですね。
20150426_04_.jpg

お堂の前に戦艦比叡の鎮魂碑と慰霊碑が並んで建っていますね。
一部で初代・二代目比叡の慰霊碑とあるが、お寺の方にも尋ねたが、比叡のは、この鎮魂碑と慰霊碑のみらしい・・・・
20150426_05_16 mm

慰霊碑には戦没者供養趣旨が刻まれている。
「軍艦比叡戦没者供養塔趣旨 軍艦比叡は昭和十六年十二月(一九四一年)今次大東亜戦争開戦と同時に第一航空艦隊支援艦隊としてハワイ 印度洋 南太平洋及びミッドウエー海戦等に参加し輝かしい武勲を樹てた。
昭和十七年後半戦局は極度の急を告げ南太平洋海戦特に第三次ソロモン海戦に参加「ガダルカナル島」の敵飛行場の撃破粉砕の任を帯び特別挺身攻撃隊の旗艦として同泊地に突入したが期せずして十一月十二日敵重巡部隊と遭遇暗夜の混戦となり比叡の主砲及び各砲は一斉に敵艦船に対し火蓋を切り精錬された砲員の的確で痛烈な斉射は敵重巡部隊を撃滅した。
比叡も亦敵の好目標となり昭和十七年十一月十二日夜から十三日に亘る敵の激しい砲雷爆撃により露天甲板以上の戦闘員多数は肉を裂かれ骨を砕かれこの鮮血に埋もれた伏屍が累々と激戦の惨状を呈した。
この海戦で実に一八八柱に及ぶ犠牲者は比叡と共に同十三日夕刻南海の果てにその姿を没した。
戦死された尊い犠牲者の魂は戦後日本の復興と悠久の平和世界に誇る経済の発展に繋がる原動力となっていることは正に戦没者の遺産で日本人の心の奥に今も脈々と生き続けており軍艦比叡会はこの栄光の軍艦比叡と英霊の遺徳を後世に残すべく曩に軍艦比叡鎮魂碑を建立したが更に茲に有志相集い永代の供養を捧げる赤心を結集して軍艦比叡戦没者供養塔を建立して英霊の安らぎを念願するものである。」
20150426_06_24 mm

鎮魂碑の裏に碑文が書かれている。
「比叡は大正三年八月巡洋戦艦として横須賀海軍工廠で完成し横須賀在籍の新鋭艦として活躍した。
昭和五年軍縮会議の結果練習戦艦となりその兵装機関の一部を撤去し第一線を退いたがその間にも昭和八年の特別大演習、同十年の南九州行幸及び翌十一年の特別大演習の三回にわたり大元帥陛下の御召艦としての栄に浴した。
昭和十二年「アーマー」の取付け、「バルジー」の新装備、前檣楼の改装射撃盤の近代化等の再改装が呉工廠で行われ同十五年初めに最新鋭の高速戦艦として第一線に復帰した。
同年秋横浜沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式には重ねて御召艦となった。
昭和十五、六年には高松宮宣仁親王殿下がその砲術長として勤務された。
昭和十六年十二月大東亜戦争が勃発すると、比叡は新編成の第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」、印度洋「ミッドウエー」等の海戦に参加し大いに武威を輝かした。
昭和十七年後半南東方面の戦局が急を告げるや同方面に再び作戦し、第2次「ソロモン」南太平洋海戦に参加した。
同年十一月十二日深夜「ガダルカナル」島敵飛行場砲撃の任を帯びた特別挺身攻撃隊(戦艦霧島、軽巡一隻、駆逐艦十二隻)の旗艦として目的地に突入したとき、予期しない敵重巡部隊と遭遇し激しく交戦した。
比叡の放った主砲の初弾で敵重巡部隊の旗艦「サンフランシスコ」の艦橋を吹き飛ばしよく敵の大部を倒したが、比叡も亦百発以上の被弾を受けその一発が不運にも舵取機に命中し航行不能に陥った。
十三日早朝から敵機の反復攻撃を受け単艦よく奮戦したが日没におよび阿部司令官の命により、乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたがなお沈まず、最後に駆逐艦雪風の雷撃で止めの一撃を加えざるを得なかった。英霊百八十八柱は艦と運命を共にした。」
20150426_07_21 mm

横須賀は、市の管理する墓地等に軍艦の慰霊碑等の建立を許可しない為、呉とかにくらべるとかなり少ないですよね。
考え方は色々あると思うけど、そこまでする必要は無かったような気がします。

この場所

2015.04.26    カテゴリ:  ツーリング 

   三浦散歩

2月以来のツーリングと言うよりバイクで散歩に行ってきました。
7時頃出て、12時戻りと言う短時間でしたけど。
帰りに横横でワンボックスが横転している事故を見かけましたが・・・・大丈夫でしょうかね・・・

今日行ったスポットは4ケ所。
軍艦物が2つと景色と興味を引いた場所と言う感じですね。
当然、うらりに寄ってお土産の本鮪のすきみを購入してます。

この写真は衣笠山公園の駐車場前です。
名前で判るとおり、軍艦スポットですね。
20150426_01_19 mm

景色を撮りに来た海岸です。
いい場所は既に車の駐車場と化していたので、撮れずじまいですが・・・・
20150426_02_26 mm

油壷のマリンパーク手前です。
少し興味を引いたのでやってきた場所です。
20150426_03_60 mm

2ケ月半程ちゃんとバイクに乗ってなかったので、少々緊張しましたね。
仕事と目の治療で乗るに乗れない日々でしたからね。
これから、またマイペースで色々走りにゆきたいですね。

2015.04.23    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   解体されたはずの空母天城

色々スポットを探してゆくと、行きたくても行けない場所に在るものを見つけてしまう事が多々あります。
今回はその一つです。

1944年8月10日竣工した旧日本海軍の最後の一航戦、空母天城です。
しかし、竣工時は燃料・航空機不足となっていた為、作戦行動はできずに、浮き砲台となっていたが、1945年のアメリカ軍機の攻撃を受け沈没。
戦後は、浮揚された船体の一部が運輸省鉄道総局に渡り、船舶修理用のポンツーンとして函館に係留されていたそうです。
その後、民間に売却されて解体されたと・・・・・ウィキペディには書いてありましたので、信じていましたが・・・・・
なんと、解体されずに浮き桟橋として現役で現存していましたね。

GOOGLEでも、大きく写っています。
船の横にある大きな浮き桟橋が天城の船体ですね。
面影はなにもありませんが。。。。
20150423_01.jpg
一応、見たいと言う依頼は出してはいるのですが・・・
返事が・・・・
見れたらいいな。

この場所


艦隊コレクションでは、和風の女性として描かれている。。。。
残念ながら私は持ってませんが・・・・
20150423_02.jpg

2015.04.12    カテゴリ: 写真日記日々の事 

   久々ですが・・・・

久々です。
既に更新が停まって1ケ月が過ぎてしまっている・・・・
申し訳ないです・・・
でも・・・・
もう少し更新のできない日々が続きます。。。

ネタは貯まるが、行けない・・・・
ちゃんと復活できるのは連休あたりかもしれません・・・・

と言う事で、小ネタです。

ある所で頂いた物。。。
そこの会社に伺った関係者がお土産にと持ってきたものらしいですね。
結構な量を頂いたらしいので、話題がてらに頂きました。
まぁ、このホテルに行くと、写真が飾ってあるので、こんな事もする人なんだな・・・・と、普通に理解できます。
でも、ホテルなのに、なんで「うまい棒」なのか理解はできませんが・・・
20150404_01_.jpg

最近は、バイクに乗る時間が取れないか、前夜遅いので、朝早く起きれないので、日中、中途半端に時間がある時があります。
アニメの影響もあり、2月中旬から「艦隊コレクション」を始めてしまいました。
ネットゲームをやるのは、15年ぶりなんですよね。
軍艦好きと言うこともあって、実際の軍艦と艦娘とのキャラのギャップがあって面白いかもしれません。
元々、この系統のゲームは好みなので淡々と進めていると言う感じ。
ちなみに秘書艦は吹雪ですね。
やれて、1日2時間程度なので、吹雪が飛び抜けて育っている位ですね。
20150404_02_1.jpg

艦これでは、各戦艦の慰霊碑等が巡礼の場所となっているようですね。
そこで、小ネタです。
駆逐艦吹雪の慰霊碑は呉に第11駆逐隊としての慰霊碑だけどされていますが、個人で建立してる小さな慰霊碑が存在しています。
ネット上には、情報が出ていないのですが、小さい時から知っているので・・・・
今手元には古い吹雪の慰霊碑の写真がありますが、既にボロボロ・・・・
まぁ・・・私も写っているので、あまり公表はしたくない・・・
今度、広島に帰った時でも、写真を撮っ来たいですね。
ちなみに、私は長崎生まれで、広島・東京育ち、帰っても誰も居ないのですけどね。


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