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最近の記事

2020.09.30    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   道祖神奉斎塚

道祖神奉斎塚です。

狭い道の脇に鳥居があり、その後ろの塚に大木が生えている。
木の前には祠があり、その周りに異様な物がいっぱい・・・
これが全て「道祖神」らしい。
色々な場所にあった「道祖神」をココにまとめて、祀っているらしい。
かなり奇怪な感じがする場所です。
20121027-827 mm

この場所の奥には、林の中にいきなりお墓があったり・・・
日暮れ前なんで余計奇怪な感じがするのかもしれません。

この場所

当記事は旧HPの再編記事です。
BLOG記事の情報は2012/10/20当時の情報となります。
この場所は掲載日現在も存在します。
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2020.09.29    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   根岸外国人墓地

1861年山手の横浜外国人墓地が手狭になったため設けられた横浜市営墓地で、思った以上古いです。
横浜外人墓地と比べると、かなりひっそりしていますね。
ここに埋葬されている人は主に、関東大震災での被災者等戦前の人が多いそうだが、
正確な資料は第2次大戦後に連合国軍に接収され、記録が消失し不明な点が多い。
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平成11年に横浜山手ライオンズクラブにより建立された慰霊碑。
墓地に眠る全ての魂がやすらかであるように願って建てられたものだそうです。
慰霊碑の上にある物は、小さい天使の片翼の羽で「翔べない天使」を意味しているそうです。
建立者の意図として、戦後、進駐軍と日本女性との間に生まれた混血の赤ちゃん達が、
ここに800体くらいも秘かに埋葬され、それらの慰霊の意味もあるそうだ。
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全体で4フロアある墓地の一番下の1フロアです。
ここ数年で墓地に白い柵がつけられたようだ。
いわゆる墓地にありがちなおどろおどろした感じはない。
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下から2フロア目、木が多くそれなりにお墓もあるため、墓地という雰囲気は十分。
ただ、殆どのお墓は無縁のようで、この時期に掃除された形跡があるお墓は見た限りないようですね。
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3フロア目・4フロア目はご自身で見ることをお勧めします。
墓地とは思えないほど墓石が少なく、かつ小さい墓石が多い。
そして、その小さい墓石には「infant」の文字が書かれている物もある。
墓石があるだけでも、親の思いを感じてしまう・・・・
墓石もない子がどのくらい眠っているのだろう・・・・
等色々考えてしまう場所ですね。

2020.09.28    カテゴリ: スポット有名人 

   孫文が大月薫と過ごした場所?

中国で武装隆起をして失敗した孫文は日本に亡命していた。
明治32年8月12日伊勢佐木町で火事があり、大月薫一家は自宅が全焼し、孫文の住む家の2階に住むこととなった。
孫文は2階に住む大月薫に一目ぼれし、明治35年(36年説あり)に二人は結婚。
孫文38歳、大月薫16歳という、犯罪的な年の差結婚だった。。。。
薫が19歳の時に妊娠。
孫文は世界中を飛び回り、何処にいるのかわからない状況だった。
薫は一人で出産。娘に文子と名付け、その後、文子(冨美子)は里子に出される。
ただ、孫文は薫との間に子供ができたのを知らなかったわけではなく、
孫家では「日本人との間に生まれた娘がいる」との話が伝わっており、
隠していたわけでもないようだ。

正確な場所は私では調べきれなかったが、この辺に大月薫と孫文が住んだ家があったようだ。

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孫文の日本での行動は当時の日本の警察?は克明に記録していたが、ただの女子高生だった大月薫の事は記録されていない。
孫文と大月薫の住んでいた家は「山下町121番地」と「山下町117番地」の2説があるようです。
今回は山下町117番地説を採用しました。
ちなみに山下町121番地は現在の横浜中華街の一角となります。

2020.09.27    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   日本吹奏楽発祥の地

明治2年、薩摩藩士30数名が洋楽伝習生として、
J.W.フェントンから楽器指導を受けたのが、我が国の吹奏楽の始まりとされています。
明治3年には、フェントンの指揮で演奏会されたそうだ。
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2020.09.26    カテゴリ: スポット史跡・遺構 

   君が代発祥地碑

明治3年薩摩藩の依頼によりジョン・ウィリアム・フェントンにより作曲された。
ちなみに、歌詞は古今和歌集にある短歌が用いられたが、フェイトンは日本語を知らなかったともいわれている。
最初の「君が代」は讃美歌風の曲調であったため、日本人には遭わず明治13年に改訂され現在の「君が代」となった。

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2020.09.25    カテゴリ: スポット墓マイラー 

   須田 開代子の墓

1995年11月20日に心不全のためバージニア州内の病院で死去。
ボウリングを始め、2年でアマ日本一になり、昭和42年の第1回全日本選抜選手権で優勝。
昭和44年に日本国内初の女子プロボウラー第1号としてデビューし、その後、中山律子や並木恵美子と共に高度成長期を背景にボウリングブームを支えた。
平成3年に日本プロボウリング協会副会長に就任。
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墓誌には「慈鳳院妙開日修大姉」とある。
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墓の左には直筆による「生涯青春」と彫られた碑が建つ。
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最近はすっかり墓マイラーですねぇ・・・・


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