最近の記事

2017.06.01    カテゴリ: スポット寺社・教会 

   酒匂神社

小田原にある酒匂神社(もとは駒形神社)です。
軽巡の酒匂の艦内神社とは言えない・・・
軽巡の酒匂の艦内神社はどこだか明確になってません。
戦時竣工の艦は結構、艦内神社が明確ではない物がおおいですから。

酒匂神社は、安久五年(1149)箱根権現を勧請し、駒形社となり、明治十年四月神仏分離令により近くの八幡社をここに移し、酒匂神社となったらしい。
20170502-107-24 mm

境内は意外と広く、落ち着く感じですね。
20170502-110-44 mm

表忠碑です。
 明治三十七八年戦役の戦死病没者を祭った慰霊碑ですね。
20170502-109-32 mm

その横には三景艦の物と思われる32cm砲弾がありますね。
20170502-108-32 mm

この場所
スポンサーサイト

2017.05.31    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   重巡 足柄の艦内神社

神奈川県にある足柄神社。
重巡洋艦の足柄の艦内神社ですね。

足柄の分霊元である足柄神社であることには間違いがなく、本宮には寄贈品もあると聞いています。
ただ、この神社はこの場所に来たのは昭和14年です。
その前は、矢倉岳にあった矢倉明神ですね。
足柄が分霊元として来たのは矢倉明神の時代となるはずです。
矢倉明神ですが、その前は足柄峠に祀られていた足柄明神となります。
この辺の由来で分霊元として選ばれたのでしょうかね。
20170502-104-26 mm

足柄神社祭神の碑ですかね・・・
20170502-102-24 mm

四行目に重巡洋艦の足柄の事が書かれています。
20170502-111-58 mm

神社の端が道なんですよね。
境内を車がたまに通ります・・・・
20170502-106-52 mm

この場所

2017.05.30    カテゴリ: スポット由来 

   童謡汽車ポッポの生まれた場所

御殿場駅です・・・・・
童謡「汽車ぽっぽ」は昭和12年に「兵隊さんの汽車」として、出征する兵士を見送るという内容の歌だった。
元の歌詞
 汽車汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポ シュッポッポウ
 兵隊さんを乗せて シュッポシュッポ シュッポッポウ
 僕等も手に手に日の丸の 旗を振り振り送りませう
 萬歳 萬歳 萬歳  兵隊さん兵隊さん 萬々歳

作詞の富原薫は当時、御殿場で教師していた時、御殿場駅で見た光景を歌にした。
現在の歌詞は、昭和20年の大晦日にNHKラジオの「紅白音楽試合」で歌うために改作された物。
20170502-101-.jpg

この場所

2017.05.29    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   航空母艦 飛龍の艦内神社

航空母艦飛龍の艦内神社である熊野神社です。
この熊野神社の祭神は治水神・水神・瀧神でもある瀬織津姫のようですね。
また、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名でもあるそうです。
ただ、祭神となっているのは珍しい神様ですね。

参道に碑があったのですが、明治時代の議員清崟太郎氏の顕彰碑のようですね。
この人富士国立公園の制定に奔走した人のようです。
20170502-99-46 mm

ビックリするほど、非常にみすぼらしいです・・・
20170502-98-30 mm

中には祭壇は見えないし、掛物もありませんね。
本社は扉の向こうなので、そちらには何かあるかもしれませんが。
20170502-100-24 mm

この場所

2017.05.28    カテゴリ: スポットB級スポット 

   血流川

血流川です。
「ちながれかわ」と読むのではなく、「ちぼがわ」と読むようです。
看板をみると一瞬どっきりしますよね。

いわれは、平氏・武田信玄と2通りありますが、どちらも、討たれた人たちの血が流れ込んだという話のようですね。
20170502-94-.jpg

川自体は富士川にそそぐ支流になっているようですね。
当然、血で赤いなんてことはありません。
20170502-95-.jpg

この場所

2017.05.27    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   駆逐艦 山雲の面影

べつになんともない静岡港の風景ですね。
静岡には、昭和15年1月15日に発生した静岡大火という火災がありました。
災害規模は、85の町で5,275戸が火災による消失。
27,518名が災害にあわれた。
死者は1名と軽微だったのが、なによりですが。

この災害で、援助物資を持ってきたのか、海軍施設の状況を見に来たのか判断ができないのですが、
駆逐艦 山雲が清水港に来ていました。
20170502-92-24 mm

火災の翌日(昭和15年1月16日)は、朝10時の点呼では、長浦港に山雲はいたようですね。
20170502-92_03-24 mm

昭和15年1月17日は長浦港での点呼には、山雲の姿はない。
「清水」の下に山雲の名前があります。
清水港は軍港ではないので、軍艦が常時いる港ではありませんので、任務があったと考えられます。
20170502-92_02-24 mm

昭和15年1月18日は「航海中」の欄に山雲(清水港発ー横須賀へ)の字が見えます。
これにより、山雲は何かの使命を帯びて清水に向かって、帰ってきている事が見受けられます。
ただ、海軍広報の詳細にも、何も書かれておらず、後日の報告書もない。
災害出動なら、後日報告書の存在があるのですが、多分、海軍施設の災害調査で清水に行ったとみるのが正確なのではないかと思います。
当然、ある程度の支援物資は持って行ったとおもいますが・・・・
20170502-92_01-24 mm

当時、この場所は清水航空隊の敷地と思われますので、この近くに停泊し、14m特型運貨艇(陸軍では大発ですね。)か装載艇で上陸・運搬を行ったと考えています。
実際は奥の港に停泊したのかもしれませんが・・・・
20170502-93-24 mm

資料は全て「アジア資料センター」所蔵の資料を抜粋いたしました。

この場所


Copyright © ぽっ~んと独り言 All Rights Reserved.
Template basically designed by Sceneway,  Powered by FC2 Blog