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2017.11.12    カテゴリ: ロケ地PV ロケ地 

    C&K 「ぼくのとなりにいてくれませんか?」 ロケ地

C&Kの3枚目のシングル「ぼくのとなりにいてくれませんか?」で出てくる教会です。
とっても特徴のあるステンドグラスなので、PVを見てすぐ教会は判明。
目白聖公会ですね。
ステンドグラスで有名な教会なので、すぐわかりました。

C&Kというグループはこれを見るまで知らなかったですが、いい曲が多いですね。
BLOGを見ると。
「結婚式はすぐ泣くタイプです。
ほんとはこの曲、そういう結婚式をむかえる男がどんな決意でいるか、ぼくもいつかそんな日が来たらって思って考えた曲なんです。」と書いてありました。
でも、結婚は、決意であって始まりですよね。
20171112-35 mm
この場所

PV中、歩道橋のシーンはこの場所ですね、帰ってから気が付きましたので、ストリートビューです。
金網に草が生えていたり、夜のシーンなので、雰囲気が違いますが、この場所と思います。


ちなみに、土手のバス停ですが、今は不明。
PVにチラ見できる「和泉中央」というバス停は浦和にはなく、関西にあるバス停ですね。
一応遠景(ボケてますが・・・)あたりはあるのですが・・・行ってみないとわかりませんので、気が向いたら後日追加するかもしれません。


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2017.11.04    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   艦名命名について

最近入手した本に昭和3年12月に出版された「日本海軍 艦船名考」(東京水交社版)を読んでみると、
自分の知る艦名の命名とちょっと違う艦名の意味が記載されていました。
結構あるのですが、その中でも違いが大きい物を抜粋してみました。

ちなみに、昭和3年の出版なので、特三型はまだ建造中で、正式に命名されておらず、この本にも「電」「雷」「響」「暁」を含めて以降の船は記載されていませんでした。

まずは、重巡洋艦の衣笠です。
神奈川県の衣笠山または、京都の衣笠山と思っていたのですが、四国の高越山(別名衣笠山)と記載されてましたね。
艦内神社での混乱もあるので、一応知ってはいた話ですが。

次は駆逐艦 松風。
「松林にうちつける風」という意味と思っていたのですが、「松を吹きぬく風」とは、似ているようで、違う感じもして、違和感です。
20171104_003.jpg

次が駆逐艦 綾波ですが、wikiでは「重なりあって寄せる波」とありますが、「絡み合って寄せる波」と言う風に覚えていたのですが、「あやの如き美しきなみ」と書いてあります。
ある意味私の解釈に近い命名なのですが、艦名にはすごく珍しく「美しき」と言う装飾語が入っているんですよね。
この様な装飾語が入っているのは、綾波のみです。
作成した人に何か意図でも・・・と思ってしまいます。
ちなみに「重なりあって寄せる波」だと、頻波と同意語になるのではと思いますが・・・
頻波 は「しきなみ」と読みます。(敷波とほぼ同意語と思われますが・・・)

次は、駆逐艦 潮ですね。
「川の水が海に注ぎ入る事」だそうです。
私の知っていた意味では、「海水」または「潮汐」と同義と思っていたのですが・・・違うようです
また、朝潮も同じ意味ですって・・・・?(呂500風・・・)
朝潮って、「朝、潮位が上下する現象」を意味していると思ってました。

最後が神風型駆逐艦 野分(陽炎型ではない・・・)
野分とは、「台風の古称」と理解してたのですが、
「秋末から初冬に吹く風」と言う意味で、台風のみを指す言葉ではないようです。
ちなみに「台風」ですが、使われ出したのは結構近年で1956年の「同音の漢字による書き換え」でタイフーンを同音の語源として「台風」と表記されるようになった外来語ですね。
それまでは、野分もしくは颶風(ぐうふう)・大風と称していた。
海軍での「野分」の艦名意味の語源は、大風の意味として書かれたのかもしれませんね。
20171104_002.jpg

上記艦名以外にも、意外と思える艦名意味も載っていたのですが、特に違和感のあった艦名だけ抜粋してみました。

2017.09.24    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   正規空母蒼龍の艦長墓

ミッドウエー海戦にて沈没した正規空母蒼龍の艦長は柳本柳作少将ですね。
フレディさんの「史実で艦これ」だけのイメージですと「まともじゃない人」と言うイメージがある人もいると思いますが。
実際はかなりのエリート軍人ですね。
在イギリス日本大使館附海軍駐在武官・ロンドン海軍軍縮会議 予備交渉海軍専門委員・海軍省艦政本部等の海上より陸上での経歴が長く、蒼龍艦長の着任前職は海軍軍令部第2部第3課長ですね。
この時の軍備計画を井上成美に「余りにも旧式」と批判されてますが・・・
人物的にも、「海軍の乃木さん」と言われるような厳格な人だったようですが、「艦長は兵と共にありたい」との考えを徹底していた人で人望はあつかったようですね。

この方のお墓は生まれ故郷の長崎県平戸市の崎方公園の敷地内墓地にありました。

ネット上にも4枚しかない写真。

ご家族の方は、関東に住まわれていたようですが、お墓は故郷に建てたようですね。
余談ですが、柳本艦長のご家族は戦時には佐久市に疎開されていたようですね。
当時、息子さんが野沢中学2年3組(現在野沢北高等学校)通われていた記事を見つけました。


2017.09.23    カテゴリ: スポット気になる 

   バイクの墓石

GOOGOLEMAPで見つけた場所ですが、かなり有名なバイクの墓石のようです。
墓じまいによりこの場所に展示されているようですね。
通常のストリートビューでは、バイクの墓石は見えていないのですが、敷地内に入るといきなり見えるようになります。

バイク墓標

この場所

2017.09.18    カテゴリ: お知らせHP・Blog・MAPについて 

   MAPについて

BLOG中の記事に「MAP」とあるリンクについては現在MAPが表示されないようになっています。

当MAP利用について、ツーリングなどの個人利用で利用されるだけならば、良かったのですが
問題のある方法で利用をされている方がおり、後処理等の問題が出たため、公開の停止をしております。
再開する予定はありません。

なお、各記事の「MAP」は、固有のスポットを示すように変更中です。
時間はかかると思いますが、ご了承ください。

2017.09.17    カテゴリ: 写真日記艦コレ 

   函館での空母 天城

今回は戦後函館での空母天城です。

雲龍型航空母艦の2番艦で三菱重工業長崎造船所にて起工された。
昭和19年9月、雲龍と第一航空戦隊を編成したが、燃料・航空機もなく、航空砲台となっていた。
天城の着底写真は、日本の敗戦模様としては有名な写真ですね。
画質が悪いですが・・・
天城

昭和21年12月5日より浮揚・解体されたが、船体の一部で長さ22m程の浮き桟橋が作られた。
その後、運輸省鉄道総局に譲渡され、連絡船修理施設として利用された後、翌年には軍艦防波とする予定だった。
この頃の連絡船の修理は沖合に停泊している連絡船に小さな蒸気船を着けて修理を行っていた。
のちに函館船渠の機能回復で、浮き桟橋(天城)の利用方法が無くなり、放置された。
記事(北海道新聞)だと、解体された事になっているようですが、現在はまだ川崎にあるようです。

国土地理院の昭和23年当時の写真では右下の海にあるのが天城のようです。
USA-M1152-48_2.jpg

この場所

参考資料: 福井静夫 終戦と帝国艦艇
      北海道新聞
関連記事:解体されたはずの天城


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